首都高速の歴史
江戸から東京に変わり、やがて大通りには市電が走るようになりました。
関東大震災を契機に復興計画により、街路が幾つか整備されました{昭和通りや大正通り(靖国・京葉通り)}。
そして第二次大戦による空襲。運河は瓦礫の捨て場として埋め立てられました。
経済成長と共に都心には自動車が溢れ出しました。
江戸城外堀等の運河の上に東京高速道路と言う店舗が完成しました。
現在でも一等地と言う事もあり家賃収入で上の道路費用をまかなえる不思議な存在です。
首都高速道路公団の誕生
昭和32年、建設省が「東京都市計画都市高速道路に関する基本方針」を定めました。
前後して、東京都市計画地方審議会で「首都高速道路計画案」が策定されました。
この計画案は、都心部から外周へ向かう八本の放射線道路と都心部をまわる一本の環状線道路で構成され、
他の道路とはすべて立体交差する完全な自動車専用道路網を整備する日本初の本格的都市高速道路網計画であった。
この計画案を実現させるため、首都高速道路公団法が制定され、昭和34年公団が設立されました。
日本道路公団が施工していた銀座大崎線(現在の2号線)の工事なども承け継ぎ、環状6号線(明治通り)と都心を結ぶ路線から着手しました。
1号線、2号線、4号線の一部から土地買収、工事が開始されました。
東京オリンピック開催と4号線
昭和34年5月、第十八回オリンピックが東京で開催される事が決定しました。
これに合わせ、オリンピック関係路線建設が優先される事になりました。
特に「羽田空港」「都心」「外苑のオリンピック本会場」「代々木の選手村」「NHK放送センター」を結ぶ4号線及び同分岐線が最重要路線となりました。
工事では、既にある都市に専用道路を建設するため、運河を埋め立てた跡や運河や川の上を利用して作られました。
技術的にも、地下で本線合流する三宅坂JCTの排煙設備や、日本橋川の流れを妨げない橋桁構造の江戸橋JCTなど苦労してまで都市部に高速道路網を建設しました。
時は移り平成の世になり、東名、中央、東北、常磐、東関の各高速道路が首都高速で連絡されるために都心部を通過する車両で路線は延びても渋滞は悪化してゆきました。
ついに、都心を迂回する日本道路公団の「外郭環状」が埼玉県区間で一部開通しました。そして、本州の高速道路が全て連絡するようになりました。
平成17年(2005年)、道路公団は民営化されました。
参考資料「東京百年史 第六巻 昭和47年発行 東京都」「NHK プロジェクトX」など。
四ツ木−葛西 首都高速工事 yuuki撮影
C2工事現場は、特撮「宇宙刑事 ギャバン」1982年(昭57年)のロケ地です。
第15話「幻?影?魔空都市」−−− C2葛西JCT付近です。
地図で見る開通年表
昭和59年前に開通した路線は高架橋の橋桁の色がピンク色が多く、その後灰色が多く採用されているようです。
日本道路公団「外環ユーザーガイド」1999年版に加筆
昭和37年38年、昭和39年、昭和41年42年、
昭和43年44年、〜昭和46年、〜昭和52年、
〜昭和55年(1980年)、〜昭和59年
開通の歴史(年表)
開通年月日 | 号線別 | 開通区間(旧町名) | 延長(km) |
昭和37年12月20日 | 1 | 宝町−海岸3 | 4.5 |
昭和38年12月21日 | 1 | 日本橋本町2−宝町 | 1.9 |
同上 | 1 | 海岸3−勝島 | 6.4 |
同上 | 4号分岐 | 大手町2−日本橋小網町 | 0.4 |
昭和39年08月02日 | 1 | 汐留インター | 0.4 |
同上 | 1 | 勝島−羽田空港1 | 3.8 |
同上 | 2 | 銀座8−東新橋 | 0.4 |
同上 | 4 | 大手町2−初台1 | 9.0 |
同上 | 4号分岐 | 大手町2−日本橋小網町 | 0.6 |
昭和39年09月21日 | 3 | 隼町−霞が関 | 1.4 |
同上 | 4 | 三宅坂インター | 0.3 |
昭和39年10月01日 | 1 | 浜崎橋インター | 0.2 |
同上 | 2 | 海岸1−芝公園 | 1.4 |
同上 | 3 | 渋谷4−大和田町 | 1.3 |
開通年月日(コメント) | 号線別 | 開通区間 | 延長(km) |
昭和41年07月02日 | 1 | 新富インター | 0.4 |
同上 | 8 | 銀座1 | 0.1 |
昭和41年12月21日 | 1 | 羽田空港1−羽田旭町 | 0.8 |
昭和42年03月30日 | 4 | 竹橋インター | 0.4 |
同上 | 5 | 竹平町−西神田2 | 1.2 |
昭和42年07月04日(C1形成) | 2 | 芝公園−東麻布3 | 0.9 |
同上 | 2号分岐 | 麻布十番2−六本木3 | 1.3 |
同上 | 3 | 霞が関−六本木3 | 1.3 |
昭和42年09月02日 | 2号分岐 | 谷町インター | 0.03 |
同上 | 3 | 六本木3−大和田町 | 2.9 |
昭和42年09月30日 | 2 | 麻布十番2−戸越1 | 5.9 |
同上 | 2号分岐 | 麻布十番2 | 0.2 |
昭和43年07月19日 | 横浜羽田空港線 | 神奈川通5−浅田4 | 6.8 |
昭和43年11月28日 | 横浜羽田空港線 | 浅田4−羽田旭町 | 6.9 |
昭和44年05月31日 | 1 | 北上野−日本橋本町 | 3.5 |
開通年月日 | 号線別 | ランプ |
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昭和44年06月 | 5 | 西神田−護国寺 |
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昭和44年12月 | 5 | 護国寺−北池袋 |
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昭和46年03月 | 6 | 江戸橋JCT−向島 |
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開通年月日 | 号線別 | ランプ | コメント |
昭和46年03月21日 | 7 | 江戸橋JCT−谷河内 | 京葉道接続 |
昭和46年12月21日 | 3 | 渋谷−用賀 | 東名接続 |
昭和48年02月15日 | Y |
| 八重洲線開通 |
昭和51年05月18日 | 4 | 高井戸インター | 中央道と接続 |
昭和51年08月12日 | B | 13号地−大井 | 東京港トンネル開通 |
昭和53年01月20日 | B | 新木場−浦安 | 千葉県初 |
昭和55年02月 | 9 | 箱崎JCT−辰巳JCT | 5.3 |
昭和57年04月27日 | B | 浦安−高谷 | 東関道接続 |
昭和60年01月24日 | 6 | 小菅JCT−三郷JCT | 常磐道接続 |
昭和62年09月09日 | C2 | 四つ木−葛西JCT |
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昭和62年09月09日 | S1 | 千住新橋−川口JCT | 東北道接続 |
平成05年08月26日 | 11 |
| レインボーブリッジ開通 |
平成05年10月26日 | 5 | 高島平−美女木 | 外環道接続 |
平成06年12月21日 | B | 空港中央−大黒JCT |
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平成09年12月18日 | B | 浮島JCT | 東京湾アクアライン接続 |
平成14年12月25日 | C2 | 板橋JCT−江北JCT |
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「東京百年史 第六巻 昭和47年発行 東京都」P.936 年表、首都高速道路株式会社HPより